2013年07月09日

10年ひと昔

写真や仕事の資料の整理をしていると、なつかしい写真に出会います。
ふと「撮影年」をみると2003年であったり、2000年であったり・・・・

年齢を重ねて行くと「2003年」は、ついこの前のような感覚にとらわれてしまいます。

でも確かに10年前・・・・


10代にとっての10年はホントに長い年月です。
小学4年生が、二十歳になるまで。


中学生になり、勉強、クラブ、悪いこと、恋愛などいっぱい覚え思春期を経験して、高校生になり、自分の将来を描き、そして社会に出たり、大学を受験に苦しんだり・・・・・、そして迎える成人式。

この間の経験値はものすごいものがあり、歳をとってから経験する10年とは全く違う密度なのです。

おそらく人生の中で一番充実した時期ではないでしょうか。
同時に成長の度合いが最も大きい時期です。

もしこの凝縮された密度の高い生活と成長の度合いを、40歳、50歳、60歳の人間に当てはめることが出来たら、もっともっと人として成長するのだろうか・・・と考えるたいへんおもしろいものです。

おそらく想像を超えた知能レベルの社会があって50歳でも宿題を忘れて立たされる・・・・そんなドラえもんのような世界があるのかもしれません


20
歳の人が30歳になる10年間と、30歳〜40歳の10年間はまた種類もスピードも違います。


年齢とともに生活スピードが速くなっていきます。スピードが速くなってると感じる分、同時に人としての成長度合いも減ります。


そのように考えて行くと、「これからの10年」・・・・・

かつて経験した「小学校、中学校の毎日の新鮮さ」に匹敵するような環境を自分で作っていくことの大切さを痛感します。


とはいえ何をやればよいのやら・・・・


と悩む人も多いかもしれませんが、「やろう」という意思の中にこそ、実践の半分が隠されてます。

「早い10年」より「長い10年」になるよういろいろ頑張ってみたいものです。


By Ryuわーい(嬉しい顔)





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2013年07月05日

カタカナ文字

名古屋の男性が、NHKを提訴・・・・というニュースが流れて、そういえば最近やたらカタカナ英語が多いのに改めて気付かされました。


提訴内容はアナウンサーというのはわれわれ視聴者が理解に苦しむようなカタカナ英語は使うべきでない・・・・国営放送ならちゃんとした日本語を・・・というものです。 

アクセス、コンテンツなど、年配者は何のことやらわからないという理由です。

これには賛否両論ありますからこれのコメントは控えます

ワタシは学生の頃、論評とか嫌いな方ではなかったので、時々読んでいましたが今ほど横文字はなかったように思います。

今の1/10くらいの量だったように感じます。

とくにパソコンが普及した影響は大きいでしょう。

気が付いた横文字(カタカナ英語)思いつくだけ並べて見ました

バグ、コンプライアンス、ガバナンス、テクスチャー、ソフト、ハード、アプリケーション、アスリート、コンセプト、アジェンダ、レジュメ、リスペクト、ジレンマ、マイノリティー、マジョリティー、マター、アンチテーゼ、カオス、ボーダレス、ネガティブ、ポジティブ、マニフェスト、インフラ、リベラル、ヒューチャリング、リンク、コモン、コンセンサス、ストラクチャー、コンシェルジュ、レビュー、カスタマイズ、サイト、クライアント、スペック、デフォルメ、フォーマット、ペースト、アイデンティティー、エディット、ワークショップ、スレッド、アウトソーシング、セカンドオピニオン、フィックス、ジェンダー、テイスト、コラボ、トレーサビリティー、アセスメント、プレジール、アノニマス、ケータリング、ハラスメント、ウォンツ、プロパティー、イノベーション、ソリューション、カテゴリー、シェア


まだまだあるでしょう。きりがないのでやめます。

カタカナ英語はぼんやりとしたイメージや観念的なものを表現するのに便利で、慣れると英語の方が話しやすかったりします。

ただ、自分の考え方を表現するのに、使わなくてもいいのに無理して使っている人もたまにいます。



「先日、○○区のウォーターフロントに新しくできたコンベンションホールは極めてコンテンポラリー(現代的)な形態と言えます。特に随所にちりばめられたバロック様式のディテール(詳細)が受け継がれながらもデフォルメ(対象を主観によって変形)された部分と共存し、ダブルイメージ(詩的)を図りながらノイズ(異音)を発生させているところが評価できます。また内部空間の各ゾーン間のヒエラルキー(階層)は・・・」


ところかまわず、こんな文章を平気で書いたり言ったりする人います。特にちょっと売れ出してきた作家的な若い人に多い。(建築家にその傾向強い。偏見でしょうか)

「あんたアホか」


と言いたくなる文章です。

カタカナ英語を使うと「なんとなく知的にみえる」と勘違いしている人ですね。



使ってはいけないとは思いませんが、文章でも口頭でも、目的は相手にいかに理解してもらうかっていうことですから、TPOはとても大事だと思います。

カタカナ英語をやたら使い持論を展開する人は、一見かっこよく見えたりするのですが、自分の言葉に酔ってるだけで能力的に狭い人も多いので、知らんふりしておくのがよいかもしれません。

横文字が普及の一方で、昔ながらの「漢字」がすたれて行くのはちょっと残念です。

コスモスよりは秋桜(風情があります)
烏賊(意味がなんとなくわかります)
向日葵(きれいです)
美人局(つつもたせ・・・あこぎなことでもでもきれいないいまわし)
御御御付け(おみおつけ・・・・ユーモラスです)

学校でパソコンや英語を教える時間をさくなら、母国語の多様性を教えてもいいのにと思う一人です。

みなさんはどのように感じられますでしょうか


 

By Ryuわーい(嬉しい顔)



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2013年07月01日

facebook・・・・どう使うの?

SNSが爆発的に普及し、そのうちのひとつ、facebookにハマっている人はそれこそ食事中でもスマホを触っていたりして、SNS疲れ・・なんていう言葉もできるくらい、ちょっとした社会問題になったりしています。


2
年前にワタシもfacebookをやり始めました。
小学校の時同じ合唱団に所属していた中に好きな女の子がいて、その子どうしているんだろう?がきっかけ。

プロフィールを作って何人かの友達申請して・・・・

そして
その後、投稿をしたこともなく、ほったらかしの状態が今現在も続いています。


 

好きだった女の子にネット上で出会えなくても、ビジネスとして何か出来そうな気がしてやり始めたものの、「あれ?」とすぐに違和感を覚えたのは確か。


新しく出来たイタリア料理店に行って注文したランチの写真、基調講演を聴いて感動した話、自分の子どもがクラブで活躍した話、趣味の写真、旅行に行ってきた話、街で見つけた犬の写真 などなど


どれもこれも 「ふ〜ん」


で終わってしまい、ぜんぜん頭に残りません。


だいたい他人が何をしようが、本人の勝手だから、人の私生活にあまり興味がわかない・・・というワタシの性格によるところも大きいのですが・・・・


 

仮に誰かの投稿に「いいね」ボタンを押したとします。今度は自分の投稿に「いいね」が返ってこなかったら、それはそれで面白くありません。


同じ部署の女性から「いいね」が返ってこなかったので、部署内でパワハラ・・・実際にある話です。

なので、そうなると前もらったから返さなくちゃ・・・・で、「義理いいね」になったりして今度はそれが苦痛になります。


自分のプライバシーをみんなに公表するのですが、実際に悩んでいる家庭内のこととか、仕事上の事など生々しい話はまず載せませんから情報がすべて当たり障りのない、みんなが「ふんふん」とうなずくような「軽いよそいき」の内容になってしまいます。


その「軽いよそいき」の内容で互いに「いいね」を押し合って上手く回っていたとしても、同じ輪の中でぐるぐる回っているだけで外に向かって何かを発信するというものでもありません。


それほど親しくない仲間も含め、互いに褒め合いしているみたいな・・・・見方を変えれば、ちょっと気味悪い光景かも・・・です。


「いいね」がネズミ算式に増えて行く・・・という見方もあります。
しかし、「いいね」と言っています・・・という情報が来たからと言って何人の人がその情報を確認するでしょうか。

「友達かもしれない」人・・・・・も、ほとんど赤の他人です。

それにしても、なぜこんなに他愛もない自分の行動を他人に知らせる必要があるのか・・・・

軽いプチ自慢?・・・・


見て見て〜ワタシ?
頻繁に送られてくると、「うんざり」することも多々ありますから、Facebookの現状をどうしてもネガティブに見てしまいます。



 

そんな難しいこと考えんでいいねん。

そういうもんやねん。

見たくなければ、見なかったらいいだけ!


 

確かにそうです。


 

ただ

実際のところ、東日本の震災などの時、情報を入手するのには大変役に立ったと聞きます。

また音信不通になっていた級友を探したりは便利です。
(でも経歴はなんで高校から?  なんで小学校の情報入らないのか疑問)



画期的なもっと別のいい使い方、誰か考えてほしいものです。


By Ryuわーい(嬉しい顔)


 

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2013年06月27日

自己啓発って?

大型書店にぶらりと立ち寄ると、ベストセラーコーナーに必ずと言っていい程「自己啓発本」が幾種類も並んでいます。

心理学の側面から書いたものや、成功談を並べて「普通の私でも年収○千万になれたのです。あなたもポジティブな心の持ち方で明日から・・・」など、様々な角度から読者にアプローチしています。


しかし・・・・


このての本が売れるということは何を意味するのだろう。それだけ救いを求める人が多いんだろうなあ・・・ついそんなことを考えてしまいます。

確かに啓発本は仕事で失敗した時、失恋した時など自分がネガティブな状態になっていて、その状況から抜け出したい時などに読むと、ちょっと救われたり勇気づけられたりします。

ただし読むと言っても「立ち読み」に限る・・・買ってまで読むものでは・・・・とワタシは思っています。

そもそも自分の生き方や心の持ち方を他人から「こんな風にすれば・・・」などと押しつけがましく言われたくないというのがワタシの根底にあります。


また他人から言われて明日から実践出来るような心の強い「自己コントロール」の出来る人なら、この類の本はきっと真剣には読まないでしょう。

心の持ち方や、哲学は他人から教えてもらうものではなく、自分の様々な失敗経験や人の生きざまを見て、色々考え、自分の中で咀嚼して、そして最終的にそこから「自分ならこうする」というもの見つけるところに意味と強さがあるのですから。


 

ぽっこりお腹を治すのに、腹筋をしたり、ジムに通ったりして頑張っている人が結構いるようですが、その身体の部位(お腹)だけを頑張って鍛えても、自分の循環器系が元の状態なら幾らやっても脂肪は減らず効果は期待できません。
むしろ楽に毎日続けられる有酸素の全身運動をした方がはるかに効果的です。

身体のしくみそのもの(根本)を変えなければなかなか痩せることはむつかしいのです。(経験談)

「啓発本」もそれと同じ。付け焼刃の情報を本から得ても、持って生まれた自分の癖や性格はそう簡単には変わるとは思えません。


夏休みの宿題を8月の終わりのギリギリから憂欝な気持ちでやっていた人が、気持ち切り替えて7月中に宿題をやってしまうようなもの。

本を読んで頑張る気持は出てもせいぜい3日続けばいい方でしょうか。


それなら


世の中何でもアリ・・・・100100様 犯罪しない限りOK。  

自分の性にあった信じられる方法でやるだけ。やってだめならまた次の方法を考えたらいいだけ・・・・

笑いたい奴には笑わしておきましょう。いろんな考え方がり、いろんなやり方がある。答えは一つではない・・・・とうことを理解している聡明な大人は、他人が一生懸命していることを決して笑いません。

そう考えたら気分は楽になりませんか。

By Ryuわーい(嬉しい顔)



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2013年05月31日

サスペンス・・大阪

学生の頃良く観ていた土曜ワイド劇場・・・


今でも多分そうだと思いますが、サスペンスドラマ・・・といえば京都が舞台。たいへん多いです。金沢も結構出てきます。


ところが、「大阪」はなぜかサスペンスドラマの舞台としてあまり出てきた記憶がないのです。

そこで考えてみました。


 

サスペンスドラマで人を惹きつけるのは「謎」

そして「謎」から広がりをもって積み上げて行く「推理」


それらが成り立つには、背景に「神秘的なるもの」がどうしても要るのです。

人が神秘的と感じるもの・・・・イメージ的には・・・

歴史、代々続く由緒ある家系や財閥、神社仏閣、有名大学での特殊な研究、そしてまた一方で風光明媚な観光地、・・・


これらをつなげていくと…、

その地方で代々続く家計に生まれ、有名大学に勤務する準教授(とりわけ専門は特異性をもったもの)が、遺産相続に絡み、愛人も巻き込んで展開する殺人事件・・・・そんなストーリーが生まれそう。


こうなれば舞台は京都。


金沢は特急列車が絡んだサスペンスが多いような・・・・それでも加賀100万石を舞台に、金沢大学や兼六園も出てきたりしてドラマを展開していくにはうってつけ。


神戸が舞台の場合は、港町だけあって、京都、金沢よりもう少しドライでカラッとしてるサスペンスドラマが似合いそう。


 

では大阪ならどうなるか・・・


ちょっと想像しにくいのです。

人が神秘的と感じる、歴史、由緒ある家系、財閥、神社仏閣、大学 などなど条件はそろっているのですが、それ以上に「商売のまち」としての「にぎやか系」「生々しさ」が圧倒的パワーを占めて他を消してしまっている気がしてなりません。

建前よりも本音。神秘よりもリアリティーが優先してしまう文化なのでしょう。


生活に直結し、リアリティーに富んだサスペンスドラマ・・・・作ってほしいと思いますが、真剣に観つつもわれわれ大阪人は舞台が大阪なら何かしらの「落ち」を期待してしまうのでしょうか。

まあそれはないにしても、京都に限らず、もっと地方の文化を盛り込んだ、その地方ならではのサスペンスドラマができれば面白いと思いました。


By Ryuわーい(嬉しい顔)




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2013年05月21日

正しい日本語・・・その1

全然OK!・・・・・


つい最近まで、すごい違和感を感じてた言い回し。


 

「ぜんぜん」は「まるで」とか「まるっきり」とか否定を表す副詞。


少なくともそのように教育されてきた世代にとっては「全然OK」は違和感の極み。


気になりだしたら調べてみたい・・・・

そんな気持ちが起きて調べて行くと・・・・

なんと夏目漱石、森鴎外、などの明治を代表する文豪が「肯定」として使っていたことが判明。

江戸時代も肯定を意味する副詞として使われていたらしいです。


ところが戦後の教育指導要綱の中に「全然は否定語を伴う」とあります。

そして、また二転して、バブル崩壊後学生の間で「全然大丈夫」的言い回しが・・・・

日本語は時代を背景として変遷して行くことがよく判りました。


 

ぜんぜんOK・・・・受け入れる努力をしようと思います。



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2013年05月09日

一年ぶりの・・・・

一年ぶりにブログ再開です。


何でこんなにあっという間に時間が過ぎるのだろう・・・・歳のせいでしょうか。


さて、我が家では、

建築を勉強してる院生の長女、志望していたゼネコンに就職が決まり、ホッ!。あと一年学生生活を楽しんで・・・。

次女は昨年滑り止めに受けた私立大学に全部嫌われながらも、最終的に志望する公立大になんとか合格。私大の入学金を払わずに済んだ一番の親孝行でした。
近所のコンビニに行くみたいな感覚で突然仙台の石巻まで単身乗り込んで一人暮らしの老人の話し相手をするボランティア活動を経験。まったくじっとしてられない性格。誰に似たのか・・・・

長男も今年の4月から高校生。勉強するより畑で土を触るのが好きらしく、普通科ではなく農芸科を自ら選択しました。



ワタシも何かしなければ・・・・

ということで、、、、、


美味しい野菜を自分で育て、自分で調理し、そして横には美味しいお酒・・・・揺れるハート

そんな暮らしにあこがれて、4月から相方と農業を勉強し始めました。



IMAG0354_R.jpg
                         これ農園です


毎週1回農園に出かけ、指導してもらっています。



草むしりは楽しめるのですが、農園に行くまで坂道を自転車で30分・・・・。こっちのほうがキツイがく〜(落胆した顔)


いろいろ収穫できたらまた紹介しま〜す。


By Ryuわーい(嬉しい顔)



ラベル:農業
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2012年03月06日

ひたむき

私立大学の受験は一段落したもののまだまだ受験のまっ盛り・・・・
ご多分にもれずわが娘も奮闘中。

私が小学校の頃初めて聴いた高石ともやの・・・・・
ひとよひとよにひとみごろ・・・・ふじさんろくにおーむなく・・・・全く意味がわからず・・・でも何となく勉強の雰囲気は伝わってきた
「受験生ブルース」・・・・古くてスミマセン


Youtube
でやっていたのでたまたま聴きました。

懐かしい半面、40年以上たった今でも昔と変わらない一生懸命な光景が、毎日みる娘の姿が鏡となって、「今も昔も変わらないもの」を映し出してくれているようでなぜかホッとしてしまいました。


わたしも高校の時はそれなりに・・・・勉強はしていたのですが、成績がイマイチで落胆することも多々ありましたが、それでもあの頃は総じて「自分にはすばらしい未来が待っている・・・・」とかすかに信じ、怖いもの知らずのような横着さで毎日を過ごしていたように憶えています。


何て言うのでしょうか・・・・
ひとつのことに一生懸命になれる・・・・他の世界は目に入らない・・・・自分が目指すのはここしかない・・・・そしてそんな事を考えている自分が大好き、毎日が大好き・・・・


受験生は苦しい半面、きっと最高に自分を楽しんでるのだろうな・・・・とふと考えてしまいました。
 

わき目も振らずやる一心不乱なひたむきさ・・・・・・・・やる前から自己弁護する小賢しさや妥協を排除して、あらゆるものを凌駕するほどの横溢感に満ちたエネルギー
 

できることならそんな世界にもう一度浸りたいなあ〜 


加齢とともに様々な経験値は増えますが、同時にそれに比例して欠けていくものもたくさんあります。

「バランス」と言ってしまえばそれまでです。前に進むのは「良識」ではなく「パワー」

そんなことを考えている中年男は私だけでしょうか

By Ryuわーい(嬉しい顔)




posted by ばばちゃん at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月31日

見切る

 この言葉、辞書で引くと「見終わってしまう」「見限る」や、心の状態を表す「判断する」「見極める」など使い方は様々です。

 宮本武蔵の兵法に「見切る」があります。
相手と勝負をするとき、対峙した相手との状態の「見極め」によって不安や恐怖心を消し去り勝機つかむ。
簡単にいえば「必ず勝つ」と判断したものでなければ勝負しない。
これは弱い相手としか勝負しないということですが、これの意味するところは「見極める=見切る」ことの難しさ。

 自分を客観視して相手の実力も正確に把握する・・・・
実力100の自分と実力10の相手・・・これなら見極めることはできます。
しかし10099との勝負ならさすがにその判断は難しいです。 

 勝負の世界に限らず、普段の生活でも、なかなか自分の思うようにうまく行くことは少ないもの。
いつも不安が先立ちイライラ・・・
「見切れてない事」はほんとにたくさんありそうです。  

 建築デザインでもよく使う言葉です。
建築でいう「見切り」は、例えば床と壁が衝突するところや、壁と天井がドッキングするところ、あるいは素材と素材がぶつかるところには必ず「見切り材」が入ります。
 素材同士をつなげる役割をすると同時に、境界線を作り、それぞれの素材の領域を確定します。領域を確定することでそれぞれの素材の存在意義が出ます。

 つまるところ「見切り材」は「空間の本質を極める」に通じます。
見切りの処理が悪いと美しいデザインにはなりません。  

武蔵は卓越した計算力を持った「見切りの達人」と言われています。
いっそ「見切り材という刀」で建築デザインをしたらどうなるだろう・・・・と突飛な事を考えてしまいましたが、われわれ「凡人」は悩みまくるのが仕事・・・・と「見切って」毎日を頑張りたいものです

By Ryuわーい(嬉しい顔)



posted by ばばちゃん at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々勉強 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

1年の計

あけましておめでとうございます。 

 昨年は日本人がかつて出くわしたことのない様々な出来事を通じ、普段面と向かって言葉に出しにくい「生かされている気持ち」「感謝」など、人間が共に生きていることの原点を再確認させてくれた年でした。   

今年はその気持ちに素直に応え、まっすぐな気持ちでこの1年を過ごしていきたい思いです。 

 3年くらい前からその日の出来事を手帳に記録しています。(日記みたいなもの)
些細な事、つまらないこと、腹がたったこと、美味しかった店 etc
お酒を飲んで眠たくなって寝てしまったり、書くのをサボったりで、1週間くらい手帳に記載するのを忘れてしまうこともありますが、後日必死になって思い出して書いています。 

それをして何になるのか・・・なんて野暮なことは聞かないでくださいね。 

 暮れの大掃除の時に10年前の手帳を見てびっくりしたことがあります。
それは、文字が10年前と全然違うこと。
確実に汚くなっていました。
自分で言うのも変ですが「こんな綺麗で丁寧な字書いてたんや〜」と、最近色んな事が雑になりつつあることへの警告と受け止めました。


 1年の計は・・・・と昔から言います。
今年こそは・・・と毎年のように目標を立てながら一向に出来ない人は自分も含め世の中にたくさんいます。
目標が大きすぎるとそれに負けてしまい途中で失速してしまいます。
小さすぎても「張りあい」が出ず結局それも貫徹できない人もおられるでしょう。
結局は「意思の継続」にかかってきます。
やり遂げなければ見えてこない事が多いのも事実ですが、途中で放棄したにせよそこまでやったことの成果は目に見えないくらいだとしても身についているはず・・・・と信じているワタシです。 


そんなんで、今年は「文字を丁寧に書く」をまず心がけます。わーい(嬉しい顔)

そして「煙草をやめた」おかげで、いっきに体重が増え、毎朝服を着るたびに「ヤバ〜〜ッ!」
これもなんとか。
でもこの目標・・・・・
「男が急にやせると貧相になるからあんまり頑張らない方が・・・」
などとやる前から言い訳している自分がいます〜   オイ、オイふらふら

とにかく
本年もよろしくお願いしますぴかぴか(新しい)

By Ryuわーい(嬉しい顔)




posted by ばばちゃん at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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