生物学の常識をくつがえした・・・ノーベル賞級の発見・・・とまで言われながらここにきて、捏造、使い回し、改竄、剽窃などという普段あまり口にしない語彙が次々と出てきて、見ている方は「本当のところはどうなんだろう」とつい様々な推理を働かせてしまう事件でもあります。
博士論文に使った画像が今回のnatureに発表した論文の中にも使われていることが発覚しました。その画像はテラトーマという腫瘍の画像らしいのですが、この腫瘍が細胞から発見されると全身の様々な部位に変化していく多用性を持つ細胞であることの裏付けになる極めて重要な画像みたいです。その決め手となる画像を全く種類の違う過去の画像を使ったとされています。他にも遺伝子組み換えの痕跡がない(難しくてわかりません)とか、世界中の機関でプロトコルにそって追試をしても再現されない・・・など、ほんとに八方塞がりの状態です。
ただ、違う画像が使われたからといって、テラトーマが発見されてないこととは別問題なので、ごちゃまぜにしてに考えないほうがいいかもしれません。こういう誰か「標的」がマスコミや科学者、学会から一斉攻撃を受けているときは、われも、われもで学者が言った文言をそのまま引用して、同じような批判をしたり、誹謗中傷をする人達が跡を絶ちません。(これこそ批評の使い回しです)
まあ、問題はあるにせよ、チャレンジ精神いっぱいの科学者の未来に対して一人くらい声援を送ってあげてもいいのになあ〜と思ったりするひとりです。叩くのはそこそこにして、潰すことより活かすことの方を選択してもいいのではないかなと思います。
そもそも、こういった使い回しや剽窃、捏造事件が発生してしまうのは、いろんな背景があるように思います。ひとつは科学界における競争とも言われています。競争が激しいあまり他人が書いた論文の引用や、使い回しは日常茶飯事とも言われています。そういうことが常態化してしまうと倫理観や罪の意識が薄れてしまうのも事実でしょう。今、世間では大騒ぎになっていますが、一番驚いているのは本人かもしれません。
ただ誠実に研究論文に取り組んでおられる方もいらっしゃるわけで、そういう人達までもそんなふうな目で見られてしまうのは残念なことですが・・・
追試をしても再現されない・・・・・、特に発展途上の未知数が多く、しかもスタートしたばかりの研究成果を他の研究者の追試によってやすやすと再現されて挙句に研究を追い越されてしまう・・・・開発者なら誰しもその不安と恐怖はあると思います。プロトコルを公開したとしても肝心要のエッセンスは伏せておくのが普通ではないかな?と下衆の私は考えてしまいます。
なので、もしかしたら再現は本人にしかできないのかもしれません。
論文を取り下げろと周り言っていますが、本人が決断しないのはやはり「添付した資料に不備はあったけど、再現は可能だ」という絶対的な自信があるのでしょう。
糾弾されるべきところは糾弾されなければなりませんが、研究成果を闇に葬ることなく、実績を積んでいってほしいと思います。
今回の事件で教えてくれることは、自分が一生懸命打ち込んでいても、どこかで水が漏れていて、それが命取りになる可能性は隣合わせで、核心以外の部分にも細心の注意を払うことが大切だということ。でも細心の注意が払えるか払えないかは、性格にもよりますが、その時の精神状態に「運」がどのように味方してくれるかにかかってくのではないかと思います。「この画像でいいか」・・・・憶測でものをいうのは良くないですが、nature誌に一矢報いたい・・・・
画像を使ったことは良くないことだけれど、それ以上に、そう考えた時点で、「運」がソッポを向いた・・・と考える方が実利的かもしれません。
By Ryu