2011年08月03日

捨てる

 家の中や仕事場を掃除していると、「あ〜こんなところにあった!」と以前探していたものが見つかったりして、一瞬嬉しい気分にさせられたりする時あります。 

 
そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか。 

 
 でもちょっと待って・・・・。

 探していたにも関わらず、それがなくて大変困った・・・というわけでもない・・・・もしかしたら元々要らないものだったのでは・・・
と考えてしまいました。  

 懸賞で当たった健康器具、安売りにつられつい買ってしまってその後一度も開封していないもの、相手の顔が出てこない名刺、何かのポイントカード、今は聴くことのないカセットテープ、学生の頃もらったラブレター、有名店の小奇麗な紙袋や箱、残念賞でもらったデザインがイマイチの新品ファイルや書きにくいボールペン、流行遅れのブランドの服、結婚式の引出物でもらった電池式掃除機・・・・

などなど
数えあげればきりがありません。 

残しておこうとする心の底には、

@「またいつか使える!」

 これがあります。
 

しかし・・・・その「いつか」は永遠にやってこないのです。

 A私の「思い出」だから・・・ 
 
 これもあります
 

しかし・・・・その思い出の品、何かのきっかけがなければ思い出さず、むしろ忘れている日の方が多いのです。その品物がなくなっても思い出はなくならないのですが・・。   

 日本は国土が狭く、特に都会は極めて狭小の生活を強いられています。狭いからこそ物が溢れている中にいるより、すっきりとした空間に身を置いた方がどれほど効率良く身軽か・・・・
 
 仕事でも、資料をやたらたくさん持っている人ほど仕事は出来ません。資料がないと不安に駆られるのです。
  

 捨てることを実行するには、決断も必要ですが、割り切りやあきらめ、自分に対する自信もまた必要です。

大切だと思っていたものや思い出の品を「ごみ」に格下げするのですから・・・
 
 
 ・・・・・過去を捨てなければ未来が入らない・・・・・ 

 
そうです!  

 最近それに気づきはじめ、日常でも仕事でも余計なものは捨てることを心がけているワタシです。
一旦捨て出したらそのスピードは速くなります。 

 すっきりしていく自分がうれしくなります・・・




 でもたった一つだけ・・・・捨てたくても簡単に捨てさせてくれないもの・・・

 そう!
お腹のぜい肉だけは相当の努力が要りそうです・・・もうやだ〜(悲しい顔)


By Ryuわーい(嬉しい顔)



posted by ばばちゃん at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 住まいの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

手作り椅子・・・第二段

日曜日、我が家の仲間入りを果たしたベンチの紹介です。


7/29
のブログで紹介させてもらった手造り椅子シリーズの2回目です。

 

 今回も奈良のSさんの作品です

 

IMG_5163-1.jpg

我が家では、いろんな人を呼んで、料理会をすることが多いので、いつも座っていただく椅子がなくて困っていました



 低めに設定された座面は、安定感を生み、横になっても十分の広さ。

 
 これなら
3人は十分に座れます。

 
 形もシンプルでいいです。

 

 昨年11月に奈良のHさん宅(かつてのお施主さん)のパーティーで、お会いした折、相方が

「ベンチが欲しいなぁ!・・・」の一言がきっかけ。


 Sさんの「ものづくり魂」に火がついて・・・

・・・よくぞ乗ってくれました。感謝します

 

Sさん、・・・最近は自宅のバイク室でトンカチやっていると、ご近所の人がやってきて

「テレビ台を作ってほしい・・・」と注文がくるそうです。

 

 手作り家具に、ご興味のある方は、とりあえずワタシまでご一報くだされば・・・と思います。

 

製作はもちろん有償ですが、市販より安く作ってくれること間違いなしです。


By Ryuわーい(嬉しい顔)

ラベル:手作り家具
posted by ばばちゃん at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 住まいの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

衣、三歩下がって食、そして住

昨日、知人に誘われ、住生活教育研究会なるものの会合に初めて参加させてもらいました。

構成メンバーは、建築家をはじめ、プロダクトデザイナー、そして場所と料理を提供してくださったキッチンコンサルタントで著名な井上まるみさんなどです。

「教育」とか「研究」とかたいそうな名前が付いていますが、本来は暮らしや住まいについて、自由に討論し、勉強や自己研鑽の場としてあるものです。

しかも、料理がまた美味しく自由討論にも華が咲きました。

 帰りがけには、井上さんが書かれた著書までプレゼントしてくださいました。

 
 KC3D0002(2).jpg kichi1.jpg 

 
 さて、「食」と「住」についてワタシなりの考えを簡単に書きます


 小学校で「ゆとり教育」が叫ばれてから随分たちますが、欧州に比べ日本の「家庭科」の授業はまだまだ遅れているのが現状です。人間が生活していくために必要なもの「衣」「食」「住」がありますが、とりわけ日本は、
1=「衣」、2=「食」、3=「住」の順に諸外国より遅れている感じがしてなりません。

 
 「食」文化は世界に類を見ないくらいに様々な国のものを食べる民族ですので、供給という面では世界最高水準なのですが、「食」に対する敬意や知恵の部分ではずっと遅れています。

 賞味期限が切れたら食べない・・・当たり前のことかもしれませんが、しかしそれは他者がもたらす情報によってそう信じ込んでいるだけで、自分の経験や知恵は一切入っていません。

「これ大分古いから、食べたら、お腹こわすやろな・・」とか

「ご飯に糸ひいてるけど、お米の古いの間違って食べても大丈夫」といったことは、小さい時からの経験で本来知っていなければならないことだと思うのです。
 大量生産と行き届いた品質管理に守られている日本では、そういった知恵の部分が退化してしまっているのかもしれません。またそういうことを教えてくれる、おじいちゃんやおばあちゃんがそばに居ません。


 「住」にいたってはさらに遅れています。これは、木造とか、鉄筋コンクリートとか、シックハウスとかそういった外形的、物理的な知識や現状のことではなくて「住まいに対する意識」です。

今流行のデザイナーズブランドの白い箱も決して悪くありません。使い勝手も楽な方がいいでしょう。高気密高断熱もしかりです。

ですが、その前に考えなければならない、大切なことを見落としてはならないと思うのです。

 

それは、われわれは日本という国に生まれ、高温多湿、豊かな水と森林、それゆえに四季折々の移ろいを感じることができる気候風土の中に育ちってきたという事実です。
 「旬のもの」という言葉がぴったり当てはまる国は日本くらいだと思っています。この身体に染み付いた日本的DNAやそこからくる自然と健康のサイクルは変えることができないのです。


 たとえば、高気密高断熱を例に取れば、この工法は部屋の空気の流れがストップしますから、強制換気が必要になります。窓を開けていたのでは高気密の意味がありませんから当然エアコンをつけます。エアコンは同じ空気ばかりを循環させますから、今度は空気清浄機能が必要になります。こうして住まいはどんどん重装備になって行きます。重装備になればコストがかさみます。

これは丁度、風邪をひかないように新種のワクチンをどんどん打っている状況によく似ています。

(決して高気密高断熱を否定しているわけではありません。大切なのは使う場所と目的です。)

 

また「物理的快適」さは、温室と同じですから、寒い冬などは「外で運動しよう」という気力も萎えます。高齢者ならいいのですが、子供がエアコンをがんがん効かせた部屋で、こちょこちょゲーム機いじる姿は決していい環境とはいえません。

新しい技術によって快適性の質はある程度まで向上はするのですが、人間らしい根本的なところで解決にはなっていませんので失うものも大きいのです。


 「もっと身軽になれば・・・」といつも思います。

ただ身軽な住まいを実現していくためには、小学校の時から授業で「日本の住まい」について勉強して、人の関わりや健康など、住まいと密接に関連した総合教育が必要になってきます。机上の空論にならないよう体験学習もまた必要になってきます。

家庭科教育の時間数を増やし、より密度の高いものにしてほしいものですが、悲しいかな、この薬だらけの住まいも行き着くところまで行かないと、なかなか方向転換できないのかもしれません。

 
 ワクチンよりバランスの取れた食事と運動。

 これがこれからの住まいの課題ではないでしょうか。

By Ryuわーい(嬉しい顔) 

posted by ばばちゃん at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 住まいの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

日本的「奥」

 土曜日、日曜日の2日間で、大学入試のセンター試験が各地で一斉に行われました。
 娘もその試験を受けた一人です。

 
 土曜日、家に帰ってくるなり

「国語の試験で、現代文に『近代建築には奥行きがない』とか書いてあった。本当なん?」とか聞いていました。
「そやね〜当たってなくもないね」とちょっと自慢げに言ってしまったのですが、

さっそく次の日新聞を広げ、センター試験の現代文を読んでみますと、「奥の文化」について書かれてありました。


 職業的に興味があったので問題を解くとまではいきませんでしたが、全文を読んで
「なるほど、確かにね」と改めて考えさせられる内容でした。


 要約しますと
 「近代建築は視覚中心の明るい建築ばかりを目指し、空間を定量的に扱える均質空間にしてしまったこと。定量的であるがゆえにそこには空間本来が持つ価値としての役割や場所性を失い、取替え可能な空間をつくることになる。これは空間に広がりはあっても奥行きが得られないことにつながっていく。

 
 この奥行きは西洋では水平方向(空間のそのもののあり方や価値)を指し、日本ではそこに時間軸をも加味してくる。


 家を訪問した際の「奥へどうぞ」は奥の部屋に到達することが目的ではなく、何かもっと心に語りかける、神秘的、儀式的要素を多分に含んでいる。
 
 それは古い神社を訪れればすぐに分かることで、社殿に向かう途中は折れ曲がった参道を通っていくわけであるが、この参道を通ることこそ神社参拝の目的があるという。参道を歩くことにより心が高揚し聖なるものに近づいていけるような感覚になる。その感覚こそが「奥」という。
 つまり「奥」は場所ではなく「そこに至るまでのプロセスの造形化」である。」

 

というような文章が延々と書いていましたが、ワタシもそう思います。

 

これは建築教育に大きく関係してくるのですが、建築を「工科系」と位置づけエンジニアリングの領域を中心に教育することは、このセンター試験の現代文にも書かれていたように、結果的に場所性を喪失した均質空間を造ることを手助けする人材を育てているようにも感じられます。構造をはじめとする技術はとても大事です。
 しかし空間はデジタルで扱うものではなく、そこにもっと「奥行き」を与えていくものですから、数学的組み立てより、もっと文学的な礼儀作法からはじまる日本のアナログ文化をもっと建築教育にも取り入れていくべきではないだろうかと、今回感じた次第です。

ややこしい文章ですみません。

By Ryuわーい(嬉しい顔)

posted by ばばちゃん at 18:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 住まいの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月15日

料理は誰のために・・・?

 仕事柄、相手先の家庭を見る機会は多いのですが、
料理は楽しいですか?と主婦の方々に質問をしてみますと意外と
「しんどい」・・・・「めんどうだ」・・・・と答える方が結構いらっしゃいます。

 
 その理由の多くは
「献立を考えるのがおっくう」というのが目立ちます。


 ワタシも料理は好きな方ですが、毎日やっていると楽しさが苦痛に変わるときがあります。
冷蔵庫を開けて   
「さて、今日は何を作ろうか・・」・・・と思案しても浮かんでこない献立。

「めんどくさいなあ・・・」となるのですが、そこは気を取り直して
「野菜を多めにして、これとこれで○○でもつくろか」と3品くらい頭に浮かんできて、ようやくエンジンスタート・・・
 ただそのハードルを越えるのにエネルギーが要るのです。
 もちろんエンジンを動かすガソリンはワタシの場合 一杯のビールからビール・・・です。


 でもここで考えてみると、・・・献立を考えるエネルギーは、「食べてもらう相手」に向かっている場合が多いようです。
 それは子供であったり、相方であったり、あるいは招いている客人や友人であったり・・・
「喜んでくれたらうれしい」からだと思います。


 ですからワタシが一人暮らしなら、献立など考えないのではないか?と思ったりします。

事実、多くの主婦が「自分ひとりなら適当に食べる・・・」というデータも出ています。
私もそのうちの一人なのです。


 「ひとりなら適当に食べる」・・・これは裏を返せば
「相手がいるから作る、つまり誰かのためにやってる」
という風にプラス思考で捉えることができます。


 でも中には、自分ひとりでも「料理はきちんと作る」・・・というポリシーを持っておられる方もいらっしゃいますから「相手のため」に毎日の献立が成り立つというわけではありませんが、誰かのために何かをしたい・・という気持ちはとても大事だということでしょうか。

 

 そう考えますと、ご主人や子供の健康を考えて奥さんが一生懸命考えて作った料理。

酔っ払って帰ってきて「今日はメシいらん」などと平気で言う日々に甘えていますと、定年済んだ頃に捨てられる可能性は日ごとに増していきそうです。


 こういう話題になるとひと昔は
「男は外に出ると7人の敵がいる」などと「外で仕事をすることがいかに大変か」という妄想を振りかざしていたようですが、「大変さ」を強調するあまり「何の為に仕事をしているか」・・という根底を置き去りにしているようにもみえます。
 
 「ご主人や子供のため」に家事を。「世の中のために会社で一生懸命」。
 誰かのため・・・根本は同じはずなのですが、どちらが重要か、どちらが責任重いか・・・などと、優劣をつける事が好きな人、結構多いのもまた事実です。

 「料理は苦手だ。一人ならしない」・・・は、「誰かのためならする」の鏡言葉になっていると考えたら、料理苦手な自分と向き合って「めんどうやなあ〜」と思いながら料理を作るより、「相手のため」と割り切れば気分も楽になり美味しい料理も出来るのではないでしょうか。


ご主人、たまには奥さんの作った料理を褒めましょう。

 「めんどうだ」は、だんだんいいことのように思えてきそうです。


 本日も献立がんばってください。

By Ryuわーい(嬉しい顔)

ラベル:料理
posted by ばばちゃん at 16:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 住まいの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月18日

グリーンの安らぎ

 殺風景な空間や何となく冷たい無機質な空間に、そっと観葉植物などが置いてあると自然と目に飛び込んできて「ほっ!」とする気持ちになったことは誰でもあると思います。晴れ


実際「植物の効果」は

 1 空気の浄化や湿度調整

 2 目の疲れを癒す

 3 インテリアが栄える

 4 運気を高める・・・


・・・などなど、たくさんありますね。

ですからこれを生活空間に取り入れれば、毎日がもっと充実したものになるにちがいありません。


 わが家は、比較的たくさんのグリーンを育てています。時々水をやったり、日陰でも育つ植物かどうかを予め知っておく必要はありますが、室内用のグリーンはそう種類が多くないので簡単です。


 さて、どこにおくかという場所ですが、「アイストップ効果の高いところに置く」がポイントになると思います。目

 

 下の写真は階段の窓部分(植木鉢などがおけるよう壁を厚くしてあります)に置いてあります。

直射日光が当たりますし、階段を上り下りするたびに無意識のうちに目に入ってきます。
こういった移動するだけの空間などに置くと、単調さが解消されます。

 
green5.jpg
 

下の写真は壁のコーナー部分に棚を設けて・・・。日が当たらないので生命力の強いつた類などを置いています

 
green1.jpg
 

仕事場にも本棚などの上にさりげなく置いておきます。

 

green4.jpg

他にもたくさんあってすべて紹介しきれませんが、ぜひみなさんも一度やってみてはどうでしょう。

暮らしが変わるかもしれませんよ。

By Ryuわーい(嬉しい顔)

posted by ばばちゃん at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 住まいの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。