2008年02月19日

時代はBD?

 東芝がHD−DVD事業から撤退を表明しました。

これは様々な業界に波紋を呼ぶこと間違いでしょう。時代の流れはBD(ブルーレイディスク)なのでしょうか。


 かつて家庭用ビデオが普及し始めた頃、VHSかベータか?で随分悩んだ記憶があります。もともと機械に弱いワタシでしたので、家電店に行って、店員さんに勧められるまま結局VHSを選んだのですが、一種の賭けでした。

ですが今は、「記憶容量に優れているものがいい」・・というのは、家電やパソコンの進歩で学んだ教訓のようなものなので、迷わずBDに流れていくのは避けられないのかもしれません。

 

BDは1枚で50GB(DVDの約10枚分)の優れもの。2時間のデジタルハイビジョン放送やパソコンデータをそのまま1枚に記憶してしまうからすごい容量です。
 
 20年前ワタシが仕事でパソコンを使い始めた頃はドクター中松氏が発明した
5インチのフロッピーディスクが主流でしたから「ギガ」なんていう単位は知りませんでした。100MB(0.1GB)の記憶容量を搭載したパソコンなんて、カタログに書いてあると「すごい!」と思っていた時代です。
OSもMS−DOSでした。(ちなみに 1GB=1000MBです。)
 しかもパソコン価格は今の20倍くらいしていました。
 そう考えたら、めまぐるしいスピードです。

 記憶容量が大きくなればその周辺も変わります。家庭用ゲームソフトはもっと進化しインタラクティブな楽しみ方が増えるでしょう。
 パソコン環境も変わりますからビジネスのペーパレス化は益々進むでしょう。

通信も文字情報より、映像や画像情報が多くなります。どんどんビジネスのスピードは上がっていきます。

 ビジネスのスピードが上がることは、そのむかし数学で習った放物線上にある接線の傾きが急になっていくことに似ているようにも思えますから、どんどん加速度的になってこの先どうなっていくのだろうかと不安になったりもします。


 文字・・とりわけ「書物」を読む人、読まない人、極端に分かれて、平均的国語力は低下していくかもしれません。

 国語力の低下は基礎学力の低下ですから、色んなところに影響が出てきそうです。
 
益々二極化が進むかもしれません。

 

 ブルーレイひとつで、そこまで杞憂になりすぎてもいけないのですが、ビジネス上の書類や取引、あるいはプレゼンテーションも電子化されて、相手と会わずしてビジネスが成り立つ(現にそうなっている)ケースが多くなり、教育も映像中心になったりして、そのため「会話」も少なくなり、無味乾燥的といいますか、何か違う方向に行きそうな気配がするのです。
 技術の進歩によって、社会は豊かになっていくのはいいことなのですが、逆に、「ゆっくり」とか「まったり」とか、人と人との情緒的な部分がなくなっていくような気がしないでもありません。


 ただポジティヴな見方をすれば、そういう時代だからこそ、より手作り的、職人的なものが希少価値を帯びてくる時代が到来するのかもしれません。 

 何事も適度が一番と、進歩の速さを否定しながらも、
10年後にはそれらが当たり前の時代が来てそれを受け入れている自分がまたそこに居ることも避けられないのですが・・・

By Ryu???[???i?????????j

posted by ばばちゃん at 14:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 言いたい放題

2008年02月01日

プレゼンテーション

 自分について話す・・・最近、とても大事なことのように思うことがらの一つでもあります。

 

 「1分くらいで自己紹介をお願いします」と言われると、たいていの人は自分の名前、住んでいるところ、家族構成、趣味、最後に「よろしくお願いします」くらいでしょうか。

 
 ところが、
これを「10分以上自分について話してください」と言われるとそう簡単にはいきません。

原稿なしではしゃべれない人も出てきますし、10分もとても無理、という方もおられると思います。


 自分について
10分もしゃべる機会など、一生に1回あるかないかですから、それが何か?と反論を買うかも知れませんが、仕事でもプライベートでも様々なところで、役立つと思うからなのです。

 

自分を語るには、まず自分を正直に分析することからはじめなければなりません。

そしてそのバラバラになったパーツを組み立てていくわけですが、ただ延々と生い立ちや趣味、嗜好をしゃべるだけでは聞いてる方も、結局何がいいたいの?で終わってしまって、心に残りません。

かといって奇をてらった事を無理にしゃべろうとすると、返って聞き手には「ノイズ」になってしまいます。

 

ではどんなことをしゃべれば・・・ということになるのですが、ワタシはそういった「どんなこと」というような内容よりも話そうとする気持ちの方が大事なように思うのです。

起承転結という方法論も重要ですが、それよりも当たり前のことでも、自分が心底そう思ったことや感動したことなど、「心の言葉」として話せば、必ず相手は好印象を持ってくれると思っています。

 

 設計コンペというのがあります。自分の考えた設計を図面化して、そこに文章や写真などを加え、プレゼンテーションしたものを競い合う競技のことですが、これなどは「この設計の意味は何か」が見えてこなければ絶対に勝てません。

学生にもその設計コンペを指導する機会があったりするのですが、ワタシは常々「頭で考えないで、心で考えなさい」と言っています。
 でも若いせいもあって「シャープにかっこよく」とか「シンプルに」とか、どうも自己満足的言葉が学生からなかなか消えません。

 
 「心の目」で見たときは不思議と「神宿る感覚」になります。「これしかない」という境地に達します。

    


 設計コンペに限らず、他の職業においても同じようなことが言えるのではないでしょうか。

頭で何かをやろうとしたり解決しようとすると失敗しますが、「ダメモト、誠心誠意当たって砕けろ」とやったほうが意外とスムーズに行ったりします。

 

 自分について語ることは、そこには「うそ偽り」がないわけですから、日ごろ自分が思ってることや考えていることをまとめてみて、文章化しておくのも一つの方法かもしれません。


 何よりも、頭で考えるより、心で考える訓練になるように思うのです。

By Ryu???[???i?????????j

posted by ばばちゃん at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 言いたい放題

2008年01月04日

1年の計は・・・

 明けましておめでとうございます。


 本日よりブログ&仕事を開始しました。


 1
 年の計は元旦にあり・・・と昔から言います。

今年はこんな年にしよう、といろいろな思いや希望が浮かんでくることと思います。


 でも、ここで考えてみましょう・・・ということで新年早々ですが

 目的なのか手段なのか、について少しお話しを・・・。
 生意気言ってすみません。


 「今年は読書をいっぱいやろう」とか

 またある人は

 「今年は少しでも給料が上がるようがんばろう」

 と思っている人もいらっしゃるかと思います。


 ワタシもかつていろいろな思いを正月に立てた記憶はあります。

毎朝ジョギングをやろう、日記をつけよう、大きな仕事もやりたい・・・etc

数え上げればキリがありません。


 でも実行されたためしはほとんどありません。意志が弱いと言ってしまえばそれまでですが、多くの方がワタシと似たような経験は持っておられると思います。

 
 ではその最後まで続かない原因はどこにあるのでしょうか。それについて真剣に考えたことがあるのです。

ここからは、ワタシ流の考え方なので聞き流していただきたいのですが、


 思うに

 何かをやろうとした時に、それを実行したあとに来る自分の姿といいますか、「どんなイメージを持ってそこに自分を存在させているか」ということがとても大事だ、ということなのです。


 日記を続けたい・・・とてもいいことなのですが、それを1年遂行した時に訪れる自分は何か・・・というところまで考えたかどうか、なのです。

 誰のための日記なのか、自分のためなのか、それとも他人に「1年日記続けました」と自慢するためなのか・・・

 
 ここに学生がいます。成績が良くなるように頑張ろう・・・と決意している人がいたとしても、ほとんどの人は長続きしないでしょう。

 それは、勉強をした後にくる「こうあるべき自分」という目的が定まってないのが最大の理由です。勉強して成績を上げることはいいことですが、成績を上げてどうするのだ・・・というところまで

考えが行っていません。
 勉強しよう・・という手段が目的になってしまっているのです。


 結婚したい・・・いい会社に就職したい・・・
それらも同じことが言えます。
 結婚しました・・・いい会社に就職しました・・・そのあとの自分のイメージがなければ続きません。これも手段が目的になってしまっています。 

 ボクは医者になりたい、ワタシは看護士になりたい、・・・と考えた瞬間白衣を着ていて、患者に対応している自分の姿を思い浮かべるに違いありません。そうなれば、この先どのような学校にいかなければならないかが分ってきますし、その学校に行くためにはどんな教科を重点的にやらなければならないかが分ってきます。


 「痩せたい!」と思う人はたくさんいます。
 でもここで、憧れてる人から
 「もし君があと5kg痩せられたら、ボクと付き合ってもいいよ」
なんて男性から言われたとしたら、きっとその女性は真剣に頑張るに違いありません。

(そんなことで私を評価する男性は嫌いです・・・という人は除いて)
それでいいのではないでしょうか。
 「痩せたい」だけではなかなか痩せられませんね。

 
 こういう目的がはっきりしている場合は、スピードの差は人によって出てきますが、目的と手段がはっきりしていますので、意外と続けて地道にやっていけるのです。

 でも全くイメージが湧かず、ただ漠然と「やろう!」だけで「継続させること」はできそうで出来ないのです。


 何かをやろう!と決意した時には、それが完工され出来上がった時の自分を想像して、それに対して「幸福感」を味わえるかどうか、そしてその幸福感のために今何をしなければならないか・・・目的と手段がはっきりと明確になってるかどうか・・・ですね。


 自分の言い訳ではないのですが、人間はそんなに意志の強い人はいないように思うのです。
99.99%の人が凡人と思っています。ですから目的がなければ続かないのです。


 
 

 人のことばかり言っていては叱られますので、自分のこともしゃべっておきますが、ワタシは建築の仕事に就きたい思っていたのは中学生の時からです。父親が公務員で営繕関係の仕事をしていましたから、英国製のコンパスや烏口をはじめ、様々な製図道具が身近にありました。小学校の時から図面や製図道具を見ていて「かっこいいなあ」と常々思っていたので、颯爽と図面をひいている自分を想像していました。勉強はきらいでしたが、「かっこよさ」にあこがれたのです。調理師や画家にも憧れましたが、結局建築でしたね。

 今は多くの人に「豊かな生活をしてもらいたい」と願って仕事をしています。
  

 すべてはどうイメージするかですね。

 

 ワタシは今年こそ「本」を出版したいと思っています。それが目標です。2年前から言っています。すみません。

でも少しずつですが、ネタは集まっています。

 

みなさんはどのような1年を計画されていらっしゃるでしょうか。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

By Ryu???[???i?????????j

posted by ばばちゃん at 23:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 言いたい放題

2007年11月11日

想像力は大事です

 姉歯事件以来、社会は偽装ブームといっていいくらいに連日新聞やニュースを賑わしています。

構造計算偽装、食肉偽装、偽装請負、賞味期限偽装・・・まだまだ出てきそうです。


 偽装とはつまるところ消費者またはエンドユーザーに「嘘」をついて自社の利益を優先させることです。

資本主義社会の中で利潤を追求していく前提となるのは他社に「勝つ」ことにあります。勝たなければ食べていけません。勝つためには何でもやる!と豪語した亀田父に象徴されるように、社会全体が間違った価値観を持ちつつあるような気がしてなりません。


 と同時により世の中が複雑化し、他人に無関心な人が多くなると「誰も見てない。これくらいは大丈夫だろう・・」という旅の恥はかき捨てではないけれど、軽い気持ちから甘えの構造が根を張り「モラルの低下」が日常化してしまいます。


 こういった背景には、自分が育ってきた環境というものが大きく影響しているように思います。

ワタシは来年の1月で50歳になりますが、昔と比べますとすべてに「余裕」がなくなってきていているように思えてなりません。考える余裕です。教育も今の先生と昔の先生はぜんぜん違います。昔は先生というと「師範学校卒」で親よりいい学歴を持っていてまたそれが教育に対する責任感という形に出ていました。悪いことをしたら殴られました。でも殴られたからといって親に言ったら「お前が悪い!」と余計に怒られました。でも今は違います。親の方がいい学歴を持っています。それがすべてではありませんが、まして実社会経験のない先生ですから、何を拠り所に生徒に教えていいのか分からない先生も多いのです。
 だから何が正しいのかという根本的なことをつい置き去りにして「殴ることは良くない」と形式論議から入ってしまいます。形式論では物事は前に進みませんし発展はしません。


 実社会に出てからもそういう教育を受けてきた人々を教育し一人前の企業人に育てていくには相手先に対する対応方法や仕事の進め方など「マニュアル化」するのが最も手っ取り早いのです。
しかしマニュアルで育った人間は想像力が欠落します。問題が起きても正面からしか見られません。


 偽装をすることは社会の信用を失墜させる。一度落ちた信用は取り戻せない・・・この基本的な倫理すら分からなかったのでしょうか。想像はしていたが「これくらい・・」という相手(社会)をなめてかかったのでしょうか。

相手をなめることは、相手が読めていない事の裏返しで、先を見通したり読む力がない、つまり想像力がないことを露呈しています。読めない人々(社会)を相手に商売をしていた、ということになります。偽装の問題と同時に商売人としての資質が問われそうです。


 姉歯の事件を受けて、国交省は今年
6月に建築基準法を改正しました。これには賛否両論ですが、実質は、建築業界は大混乱をしています。新築住宅個数も昨年に比べ-40%以上半減しています。検査機関の確認申請業務量が増え、申請に膨大な時間がかかるようになりました。そのおかげで予定していた工事着工が狂います。資材や設備機械など扱う業者は資金繰りが出来ず倒産に追い込まれる・・・。


 建設は就業者人口の約
1割です。何らかの形で建設に関連しています。建設資材の鉄が動くか動かないかで景気は左右されます。住宅産業の新築個数が減れば家電業界も打撃です。(新築と同時に家電を買い換える人が多い)


 いっきに強行施行した国交省は、確認申請業務が停滞すれば社会が混乱すること予想できなかったのでしょうか。なぜもっと段階的にやらなかったのかと思います。

そして今になって基準法運用を緩和する方向に動いています。

なぜか場当たり的な感じは否めません。

 

これからの社会はどんな方向に進んで行くのでしょうね。

こういう先行き不安な社会だからこそ、想像力は混乱を防ぎ社会を安定させる必要不可欠な能力であるとワタシは思います。

By Ryu???[???i?????????j

posted by ばばちゃん at 14:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 言いたい放題

2007年09月19日

たまには月見うどんを・・・

 男の色気談義で、前々回僕の書いたブログより、前回相方(たかこ姫)の書いたブログのほうがアクセス数が多かったので、「こりゃいかん!」となって少し補足。・・・
 相方のブログ読んで、「話を聞かない男、地図が読めない女」という本を思い出した。
「そういえば、そうだった」

 女性はフニャフニャ理屈を言わず「スパッ!」と核心に迫ります。?p???`

 ところで、「ぶれない」とはもっと分かりやすく言えば「ピントがあってる」こと。

 たとえば、昼メシ食べるのに、近くのうどん屋でも、社員食堂でもどこでもいいんだけど、何のためらいもなく毎日「日替わり定食」を食べる男性・・・これって、よーく考えれば、ピント合ってないんです。どこか他人任せで、何も考えてない感じがする。
10回に1回でいいから、
「きざみうどんに玉子入れて!」
と、店のオヤジにかっこよくきめてほしい!。(それって月見うどんやがな)
 本人にしてみれば「日替わりは便利・・・それのどこがあかんの?余計なお世話や!」ってな感じで叱られそうだけど。
 それとか自分は他の仕事したかったのに、一流企業だから今の会社に入った・・・とか。etc・・・とか。

 ぶれないピントが合う自分がある・・・が即「男の色気」につながるとは思いませんよ。なぜなら色気が出るには「いい素材」が時間をかけて、発酵し熟成していく時間もまた必要だから。
ただ素材が悪ければ、発酵でなくて単に腐ってしまうだけになる。そうならないためのいい素材=「ぶれない自分」なのだ。・・・

さて、へ理屈はこれくらいにしておいて
今日の晩ご飯はうどんできまりやね?O?b?h?i???????????j
By Ryu???[???i?????????j
posted by ばばちゃん at 17:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 言いたい放題

2007年09月17日

男の色気って何?ってそんな・・・

 前回の記事に少しだけ意見しておきます。

 『男の色気って』とかそういう形のないもの、全体像のつかめないものに対してはあーだこーだと言い切るのは苦手かな。
総じて「男子」はそんな議論が好きで「女子」ははっきりしないものについての議論は好きではないのではないかなあ。
というか、議論そのものがすきではないかも。

 男の色気などというものは、その場のシチュエーションによってかもし出されたりそうでなかったりするのではないでしょうか。
パイレーツオブカリビアンジャックスパローはとっても色気があると思うのですがジャックじゃない時のジョニーディップはそんなでもないし。

 『ぶれないこと』ってわかりにくい。
『感受性が豊か』『いさぎよい』男子は確かに魅力的だけれど、
それが色気であるかというとそうでない場合のほうが多いと思うのです。
お友達的高感度UPの要因のひとつであることは間違いないけれど・・・

 「女子」「男子」に対して色気を感じるときは、
何がってわからないけれど何か色気ある!って感じじゃないかな。
ある種、魔法?h?????n?[?gのような。

 とにかく「女子」はこれはこうだと言い切るのがすきではないのです。
だから、『男の色気とはこれ』とか言い切ってる時点で「女子」の感覚とはズレが生じているのでは?o?b?h?i???????????j

byたかこ??
タグ:女子 男子 議論
posted by ばばちゃん at 22:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 言いたい放題

2007年09月14日

男の色気って何?

 酒の肴にぴったりの話題なので、独断と偏見を交えてあえて書いてみた。多分、パートナーから反論あると思うけど・・・。

 10年くらい前に見た「ヒート」という映画の中で、悪役のロバート・デ・ニーロと刑事役のアル・パチーノが市街地で銃撃戦をやるシーンがある。その銃を構える姿が二人ともすごくかっこいい。照準を合わせたようにピタッ!と「絵」になっていて「色気あるな〜あんな風になりたい」って思ったことがある。・・・なんと単純なワ・タ・シ
 映画だから、現実とはかけ離れた架空の世界だけど、見ている人を釘づけにするくらい「絵」になり得た秘訣は、演技の上手さ以上に、人を魅了する=潜在的な何か=をこの二人の役者は持っていたからなのだと思う。

alpacino.bmp

 ところで潜在的な何か・・・って、なんだろう?

これは僕の定義だからいろいろ反論はあるし、女性が見るのとまた違うから断定は出来ないけど、一つは「ぶれないこと」=「自分があること」ではないかと思ってる。様々な局面に対して、何が大切であるか、その本質を見抜く力。この能力がなければ、こころの余裕も出きず、優しさも出ない。「自分」がないと人の言動に振り回される。
 よく男の色気を勘違いして、スキンケアに一生懸命になる男性もいる。・・・マナーとして大事なことには違いないから否定はしないけど、本質ではない。
 一時「チョイ悪オヤジ」が流行った。これも外見だけ「不良っぽく」似せて、中身が伴ってなければ所詮はメッキ。普通にしてる方がどれだけすばらしいか。普通っぽい人が、仕事でも何でも他人に真似が出来ない「すごいこと」をする、そのギャップの方が、はるかに魅力的である。
 学生時代、「不良」が女子学生にかっこよく映るのは、自分たちが経験したことがないような、知らない世界を知ってるような、そんな奥の深さを感じてしまうからなのだろう。(多くは外見で騙されてるのだが・・・骨のある不良はそんなざらにはいない。)


いつの時代も、女性は奥の深い男性がすきみたいですね。

それはさておき・・・続きを読む
posted by ばばちゃん at 22:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 言いたい放題

2007年08月23日

改正建築基準法は抗がん剤?

 先日、民間検査機関で確認新申請と計画変更申請を提出しやっとのことで済証をもらった。2物件とも木造の住宅であったが、はっきりいって「なんだぁこれは?」。姉歯の偽装を受けての基準法改正であるらしいが、なぜか生理的になじまない。とくに改正以後は書類の誤字脱字と図面の整合性にきびしい。訂正印は一切ダメ。すべて差し替え。図面に市町村の経由印が押してあっても、差し替えることで再度経由印をもらわなくてはならない。
 そこで一例をあげれば、弊社が出した確認申請書のなかで、洗面室の洗面器の形が平面図(1/00)と設備図(1/100)とで食い違っていた。担当者からは「図面に相違があるので差し替えて欲しい」と言われた。「これが基準法と何の関係が・・!」と、のどまで出かかっていた文句を飲み込みながら、やむなく差し替えた。文句を言ったところではじまらない。改正以前ならこんな(つまらない?)ことは指摘されなかった。担当者本人も「何でこんなこと指摘しなくちゃいけないのか」と多分思っているだろう。いじめてやろうというサディストでないかぎり。
 設計図面を描くというのは、何千何万という情報を図面化しなければならない、素人から見れば気の遠くなる作業。そこにクライアントの要望やコストが絡んでくれば設計変更はついて回るし、その変更を繰り返しながら成果をあげていく作業でもある。いわば、「スパイラル」を描きながら少しずつ精度をあげていくのが特性である。図面に食違いはあってはならないが、スパイラル作業過程の中で過去と未来の情報すべてに整合性を満たすことは不可能に近いし、合致させても意味がない。(自己弁護ではなく事実を言ってます)
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posted by ばばちゃん at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 言いたい放題