日本の伝統的美意識に「わび・さび」があります。
「侘ぶ(わぶ)」を辞書で調べると「気落ちする。落ちぶれる。貧乏になる」など。ここから不足の美学、慎ましさや質素の中にこそ美しさがあるという心の美意識です。豪華絢爛とは真逆に対峙するものです。豪華絢爛は様々な高価なものや文様を幾重にも重ねて造られた「足し算」の美学です。これに対して「侘び」は欠けているものや、足りないもの、飾り気のないものの中に豊かさを見出そうとする心のあり様のことですから、「引き算」の美学です。
「寂ぶ(さぶ)」を辞書で調べると「光や色があせる。古びて趣がある」など。これは時間経過が入ります。鉄が錆びていくのに年月がかかるように、時の流れが作用しないと物は朽ちていきません。
すべてのものは無常。やがて形をかえて消えていく。時間の経過を感じながら、古びていくものには心奪われます。廃寺に生えている苔に時間の流れを感じたり、桜の花びらの散り際や散った後のもの悲しさに心打たれるのに似ています。
「わび、さび」は本来別の意味合いがありますが、今は一緒に使われています。
安土桃山時代に秀吉が千利休に命じ黄金の茶室を建造しましたが、豪華絢爛の最たるものでしょう。その千利休は茶道に「わび・さび」を取り入れた茶人。二人の美に対する価値観は対極に位置するものでした。
豪華さの中に権力の誇示を求める秀吉と簡素、質素さの中にこそ本来の美しさがあるとする千利休。
しかしながら「わび・さび」のような美学の価値観に影響を与える文化が発展したのは、それとは真逆の「豪華さ」を前面に押し出した秀吉が存在したからではないかと思います。
世の中すべてのものは相対的な関係で成り立ちます。アンチ豪華さです。
秀吉がいなければ「わび・さび」もここまで発展しなかったかもしれません。
現代は、昔と違いすべてが動くスピードが速い時代です。忙しく動き回ったり、仕事に一生懸命になったり。スマホを手にしていれば、あらゆる情報が入ってきますから、知識や物も増えます。お金に余裕があれば少しでもいいものを求めようとします。つまり様々なものが足されて行きます。
いい車に乗り、ブランド品で身を包む生活をしたいと思う「足し算の生活」は自然な流れです。
しかし一方で、足し算とは反対の「引き算の生活」もこういう時代だからこそ成り立ちます。
ゆっくりとした時間の流れの中で、心の充足を求める生活です。
「わびさび」は美意識のカテゴリーですが、生活にも当てはめることができると思います。
昔のお百姓の生活は質素倹約でしたから、そこに「わび」に通ずる美意識が存在したとする説もあります。
都会の喧騒を離れて田舎暮らしに憧れる。これも現代版の「引き算の生活=わびの生活」の選択肢の一つかもしれません。
また、足し算と引き算の両立する生活もありです。
いずれにしても、どこに身を置いて人生の価値を見つけ出していくのか、流されるままに生活するのではなく、自分にあった生活とは何か・・・・・をゆっくりと考える時間を持つこともまた大切なことではないでしょうか。
By Ryu👀
ラベル:わび・さび