2014年04月10日

常識の危険

 昔読んだ小説で、ある時ネズミが異常発生をして津波のような大群が街を襲います。交通網が遮断され、ネズミを媒介として疫病が蔓延し次々と死者がでます。生物学や生態学を研究している学者の英知を集結し対策を練ります。政府は戒厳令を敷いてネズミの大群に化学兵器をもって撃退しようとしますが全く効果がなく、日本が大パニックに陥る話があります。

「ネズミの生命力」や「大群になった時のネズミの集団心理の怖さ」は学者の常識をはるかに超えていました。

そういう非常事態に対向する手段は、「常識」ではなく「常識を超えた想像力」である・・・と作者が言っていたのを昨日の小保方さんの記者会見を見て思い出しました。


 会見内容を見て、養護する人、反論する人、様々な意見が出るのは当然のこととしても、科学を専攻している学者の大半は「研究者としてあるまじき行為」と、批判をしているのが印象的でした。特に女性科学者は辛辣です。どうしてそんなに叩くのでしょうか・・・・


 実験ノートが少ないことが問題になっています。某国立大の教授は「2冊なんて考えられない、科学を冒涜している」とまで言い切っています。それを受けてかどうかわかりませんが記者がその質問をすると「45冊はあります」という小保方氏の回答でした。

それを聞いていて「?」・・・なんか本質からずれているような気がしました。

じゃ〜実験ノートが何冊あったらその教授は納得したのでしょうか。そういう問題じゃないと思うのです。


 確かに論文に不備はあったでしょう。しかし・・・

そもそもこれだけの世界をあっと言わせる研究は理研にとって一大プロジェクトのはずです。これが成功するかしないかによって今後の国からの予算が大きく変わります。世界をリードすることもできます。

理事長以下上席の人達と何度も会議をもって「これでいこう」となったと思います。それだけ肝いりのプロジェクト、世間から突っ込まれたからといって一研究員が捏造したということで責任を押し付けるのはそれこそ社会的に無責任ではないかと思います。逆を言えばそんな軽いプロジェクトだったのか・・・とうことになります。


 200回以上成功した・・・は、意味がありそうです。

回数はどうであれ、その言葉の裏に彼女の自負が見えました。私にしかstap細胞は作れない、そう簡単に詳細なコツは教えられない・・・・その自負は作った本人にしか理解できないかも知れません。研究成果は自分が産んだ子どもと同じくらい大切なもの。いかに世間が騒ごうとも、学者から批判されようとも「最後の砦=作り方のコツ」は公開するわけにはいかないのです。仮に今、疑念を持たれている段階でそんなことしたら、名誉回復はできたとしても研究者として自分が死んでしまうの分ってるからです。

とにかく今は石にかじりついてでも次のステップに繋がる研究成果を自分で出したい・・・他の研究者よりももう一歩先をリードしておく必要がある。それからでもコツを公開しても遅くない・・・・そんな意地とのプライドが会見でチラホラ見えました。

「私を解雇したらもうstap細胞は作れません・・・報告書を改め私を今まで通り雇いますか?それとも私一人のせいにして切りますか?切ったら損失は大きいです」と無言ではありますが、理研に決断を迫ると同時に恩義を売ったのです。200回という数字は相手にパンチを与えるに十分な数です。

ただそんなシナリオは彼女一人が考えたものではないということは言えそうですが・・・・。だからあのように歯切れが悪いのだとワタシは思いました。


世間では今回の件についてはすべて「常識」という枠の中で批判や批評が飛び交っています。研究者はこうあるべきだ・・・・論文とはこう書くのだ・・・コピペなんてありえない・・・


そういう常識で判断をしていくと「ネズミの大群」ではないけど、今回の問題の本質はなかなか見えてこないような気がしています。



By Ryuわーい(嬉しい顔)

posted by ばばちゃん at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 言いたい放題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック